Monday, June 01, 2009

ジャチェック・ウツコの言葉

ジャチェック・ウツコは、ポーランドのグラフィックデザイナー。東ヨーロッパの多くの新聞をリデザインして数多くの賞を受賞しただけでなく、購読数を100%まで増加させた彼が「デザインは新聞を救えるか?」と題して「TED」で行ったスピーチ。



新聞は今にも死絶しそうです。読者は古い情報にお金を払いたがらず、広告主もそれに従っています。それよりも携帯電話やパソコンの方が、新聞の日曜版より、よっぽど手軽です。さらに森林も保護しなければならない。これではどんな産業もダメになってしまうでしょう。ですので「新聞を救う術はあるのか?」と質問を変えるべきです。

新聞の将来について、幾つかのシナリオが考えられます。ある人は「無料であるべきだ」と言ったり、「タブロイドか、もっと小さなA4サイズがいい」、「地域コミュニティごとに発行する地方紙がよい」、「小さなビジネスなどニッチを狙うべき」と言う。しかし、無料にならずとも、とても高コストになってしまう。「新聞は意見主体であるべきだ」、「ニュースは少なく、見解を多く」とか、「出来れば朝食のときに読みたい」、「後の時間は通勤の車の中でラジオを聴くし、会社ではメールチェック、夜はテレビ」…。どれも良さそうに聞こえますが、どれも時間稼ぎにしかなりません。長い眼で見たら、新聞が生き残るべき実際的な意味はないと思うからです。そこで我々に何が出来るのでしょうか?

私はこうしました。20年前、ポニーエというスウェーデンの出版社が、旧ソ連圏で新聞を始めました。そして数年後には中央と東ヨーロッパで複数の新聞を発行するようになりました。それらは経験の浅いスタッフによって運営され、レイアウトなど「見た目」を重んじる文化がなく、かける予算もありません。多くの新聞にはアートディレクターすらいませんでした。私は新聞のアートディレクターになろうと決めました。それ以前、私は建築家で、祖母に一度「お前は何で生計を立ててるの?」と聞かれたことがあります。私は「新聞のデザインをしているんだ」と答えました。「デザインするものなんてないじゃない。つまらない活字だけ」。彼女は正しかった。私はフラストレーションを貯めていました。

ある日、ロンドンに来て「シルク・ド・ソレイユ」のショーを見た時、大発見をしたのです。「こいつらは『気味の悪い、しけた興行』というものを、考えられる限り最高の『パフォーマンスアート』に仕立て上げた。だから『つまらない新聞』でも同じことが出来るかもしれない!」と思ったのです。そしてその通りにしました。一つ一つデザインし直したのです。一面が我々の特徴となりました。私が読者と近い距離で対話するための私的なチャンネルでした。ここでチームワークや協働について話すつもりはありません。私のやり方はとても利己的でした。私はアーティストとして主張がしたかった。私なりの現実の解釈を示したかった。新聞ではなく、ポスターが作りたかった。雑誌ですらない、ポスターです。我々は文字の見せ方やイラストや写真でも常に実験していました。とても楽しみました。

そしてそれらはすぐに結果をもたらし始めました。ポーランドでは「カバーオブザイヤー」に3年連続で選ばれ、ラトビア、リトアニア、エストニアなど、中央ヨーロッパでも評価されました。私たちの秘密は、特徴のある一面だけではなく、新聞全体を、ひとつの作品として扱っていたことです。まるで楽曲のように、リズムや起伏があります。デザインは、これを読者に体感させる責任があるのです。ページをめくりながら、読者は色々なことを感じる。私はその体験に責任を持っているのです。

私たちは、見開きをひとつのページと捉えています。それは、読者がそのように感じているからです。このロシア語の新聞の見開きは、スペイン最大の情報デザインアワードで受賞しました。中でも一番は「ニュースデザイン協会」の賞でした。ポーランドでこの新聞をデザインし直してから、一年もたたないうちに、世界一素晴らしいデザインの新聞となったのです。二年後にはエストニアの新聞でも同じ賞を頂きました。すごくないですか?もっとすごいのは、これらの新聞の購読数が、どんどん増えていったことです。

たとえば、ロシアでは1年後に11%増、リデザイン後3年目には29%増です。ポーランドも同様で初年度13%増、3年目に35%増加しました。このグラフを見てお分かりの通り、何年もの停滞期のあと、リデザインするや否や、新聞は「成長」し始めました。中でも1番のヒットはブルガリアの、100%増でした。これはすごかった。

デザインがこれを成し遂げたのでしょうか?そうではないのです。デザインはプロセスの一環に過ぎません。私たちがとったプロセスは、外見を変えるだけではなかったのです。商品を完全に改良することでした。私は建築における「機能」と「カタチ」の鉄則を、新聞の「コンテンツ」と、「デザイン」に応用したのです。さらに、その上に戦略を乗せました。

最初に、大切なことを思考します。「何のためにやるのか?目標はどこにあるのか?」そこから「コンテンツ」を調整していきます。その後、2ヶ月後ぐらいにデザインを始めます。ただ原稿を求めるだけでなく、なぜこんなにビジネスの質問をしてくるのだ?と最初は上司たちはすごく驚きました。でもすぐに、これがデザイナーという役割なのだと理解されました。プロセスの最初から最後まで関わることです。

ここから得られる教訓とはなんでしょう?まず最初の教訓は、デザインは商品を変えるだけでなく、ワークフローを変えることが出来るのです。つまり、会社のすべてを変えてしまえる。ブランディングも会社そのものも変えることが出来る。さらに、あなた自身も変えてしまえるのです。誰がそう出来るか?それはデザイナーなのです。デザイナーに権限を与えてください。

二つ目の教訓。こちらのほうが重要です。皆さんも私のように貧しい国に住み、小さな会社の、つまらない部署で働きながら、予算も人材も、何もないところで、それでも自分の仕事を最高のレベルに持っていくことは可能なのです。誰でもできます。必要なのは、ひらめきと、ビジョンと、決断力だけです。そして、ただ「良い」だけでは足りないと覚えておくことです。ありがとうございました。


このプレゼンテーションを数十回も繰り返して見ている。何度見ても、熱いものが自分の中から立ち上ってくる。デザインという手法を携えてコミュニケーションに関わりながら、逃げ道を確保し続けていた自分を見返り、企業に関わる自分の立ち位置を根本的に変えよう!と決意した日のことを思い出す。自由を求めるところに存在しなければならない責任。

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