Monday, August 01, 2005

about shinzlog - Clip

shinzlogのインデックスに記した内容の繰り返しになるが、少し書き足して、このサイトの最初に、まずこのエントリーを置いておく。どんな仕事でも同じだと思うが、自分の職業であるアートディレクターという仕事は、本当に勉強に終わりがない。職人や演劇やスポーツなどの世界では円熟し切ったという境涯はあるようだが、学習して自分を高めていくという部分では、どの世界でも終わりはないのではないだろうか。そして、そうした打ち込めるものを持ち、同時にそれを生業として生きることが出来る自分は幸せなのだと思う。アートディレクターとして終わりのない学習。それは実はとても孤独で苦しいものだ。言われればどんな課題にも涼しい顔をして的確なアイデアを出す。それがアートディレクターの本領だ。だがどんな課題がきてもという状態に備えるのは並大抵では務まらない。頭を過ぎった興味や好奇心を絶対に粗末にしないこと。繰り返し学習を継続すること。そしてなによりも必要なのは確固たる方程式を持つことだ。

答えを導き出す確固たる方程式。それはどこにも書かれていないし、解説されたものもない。だが禅定のように、優れた仕事を前にじっと佇むことで、それを為した作り手の声は聞こえてくるし、彼の持つ方程式も見えてくる。それが見えればあとは簡単だ。それを自分のものとするために見いだした方程式に自分の持つ因数を当てながら確かめて行けばいい。ものすごくわかりやすい例で言えば、僕はバウマンのタイポグラフィの作品と長い長い時間をかけて対峙し、そこにある方程式を自分なりに見いだし、分解してから取り込んで僕の方程式を発展進化させた。後にバウマンに会えたとき、自分が読み解いた彼の方程式が間違っていなかったことを確かめられて深い充足感を覚えたことがある。アレクセイ・ブロドヴィッチも同じである。ブロドヴィッチの場合は、まさにアートディレクションそのものを彼の残した作品から読み解いた。そして彼の仕事からアヴェドンに繋がり、同時にアヴィング・ペンにも飛び火して、ファッションと静物に関する方程式を自分の中に刻み込んだ。こうした作業は今も間断なく僕の頭の中で繰り返されている。

一方、方程式は見いだせても、その方程式にのせる因数が貧弱で少ないとアートディレクターには成り得ない。わがままで理不尽で身勝手で手札の少ないえせアーティストになってしまう。ここで言う因数たるものは、あらゆる方向に広がって存在している。どこにでもある事象のひとつひとつだ。それらを出来るだけ幅広く、且つ、深く、確実な知識として持たねばならない。同時に明瞭な分析を行って自分の方程式に乗せられる因数化の作業が必要になる。そうした作業の結果は目に見えるものとしては現れない。だが少なくとも自分の脳髄のどこかに刻まれている記憶に対して縦横無尽にインパルスを走らせることで、自分の中に深まりを見いだすことは出来る。ここに記録していくのは、その深まりの追跡ではなく、幅広く枝葉を広げる段階の記録になるであろう。しかし、こうした作業を継続することは、もう一度、方程式そのものを進化させることに繋がると僕は信じている。